ノラ猫の不妊去勢手術 TNR


私は2ヶ月に1度、ボランテイアで、ノラ猫の不妊去勢手術を行っている。全米規模の大きな動物福祉団体、Best Friendsというところが主催している、大変充実したプログラムである。今回はノラ猫の手術について、その意義について紹介したい。
 

ノラ猫は社会問題


 ノラ猫は、もともとペットとして飼われていた猫が、捨てられたり、逃げたりして、半野生化したものである。ノラ猫を捕まえようとした経験のある人ならば、ご存知であると思うが、ノラ猫はペットの猫とは全く異なり、触ることはもちろんのこと、近くに寄るとものすごい勢いで威嚇し、人間との接触を避けようとする。ノラ猫はペットと異なり、餌を求めて放浪し、縄張り意識のために、他の猫と流血の喧嘩をする。猫白血病や猫エイズというウイルスに感染している固体も多く、ノミ、外部寄生虫、消化管内寄生虫に感染しているのは当たり前と言える。
オスは積極的に喧嘩をして負傷し、縄張りも広いために、交通事故にあう確立が大変高いといわれている。また、メスは年に2回、3回と妊娠、出産を繰り返す。そのために栄養状態が悪く、骨身を削って妊娠出産をするために、寿命も短くなっている。

 一定地域に増えたノラ猫は、縄張り争いの喧嘩、交配の時の騒音(猫の交配は、大変情熱的で、大きな声を伴う)、糞便やし尿の悪臭が、地域住民の苦情を呼ぶ。また、飛び出した猫を避けようとして、車が事故を起こし、ゴミステーションが荒らされる。アメリカでは過去10年の間に、ノラ猫は単に、迷惑というレベルではなく、りっぱな社会問題として取り扱われるよになった。また、同じ生き物でありながら、ペットの猫は清潔な家で健康に生きることができるのに、ノラ猫は、病気、怪我、飢え、低栄養状態と絶えず戦いながら、短い一生を終えることになる。動物福祉の観点からすれば、ノラ猫は決して恵まれているとはいえない。このノラ猫の悲惨な生活状態を、少しでも向上させたい、と思って立ち上がったのが、動物愛護団体の人たちである。

 現在のアメリカでは、ノラ猫問題は、近所や地域のいざこざといったレベルではなく、りっぱな社会問題として扱われ、行政、動物愛護団体、そしてノラ猫の世話をする個人が、協力しあって、ノラ猫の正しい世話と、地域住民の平和を目指して活動している。それに伴い、ノラ猫に関する法律や条令が、細かく設定されている。


古典的な捕獲処分法


 今から15年くらい前までは、アメリカ各地で、ノラ猫の捕獲が行われていた。ノラ猫が増える。地域住民から苦情が来る。すると、行政のアニマルシェルターの係員が動因され、捕獲気が猫を取れるだけ捕まえて、安楽死をしていた。しかし、これは、一時的には効果があるように見えても、またすぐに、ノラ猫は増えてしまい、同じことを繰り返さなくてはならなかった。ある一定地域の猫を捕まえても、すぐに隣のテリトリーから、猫がやってくる。繁殖力が旺盛なメスは、次々と子を産み、猫の人口はあっという間に増えてしまい、地域住民の苦情が繰り返されるのである。猫を捕獲して、猫がいなくなった空間に、まるで吸い込まれるように猫が増えてしまうので、これを「バッキューム効果」と名づけられた。すなわち、猫の人口が増えたからといって、捕獲安楽死しても、全く意味がないということが証明されたのだ。


Trap-Neuter-Release 捕獲―手術―放す


 ということで、捕獲して殺すのは、効果がないことがわかり、もっと実用的にノラ猫の人口抑制ができないか、検討された。そして、今度は、TNRという、捕獲して、手術をして、また元のところに猫を放すという方法が考案され、少しづつ実施されていった。驚いたことに、この方法は、非常に効果が高く、効率的にノラ猫の人口をコントロールできることが判明した。そして、実際に統計を取ってみると、TNRはノラ猫の人口を抑制し、より平穏に、より健康的に、より長くノラ猫が生きると科学的に証明されたのである。何といっても、猫を殺してしまうのではなく、不妊去勢手術の後に、ふたたびコロニーに戻すので、動物福祉の点からも、大いに歓迎されたのである。TNRはここ10年くらいに、動物愛護団体を中心に、全米で実施されるようになった。そして、元来の、「ノラ猫の苦情が住民から出たから、捕獲して殺す」という方法は、ほとんど実施されなくなっているのが、現状である。


TNRが効果的なわけ


 私が始めて、このTNRについて聞いた時、はたして本当に猫の人口が減るのだろうかと、半信半疑であった。私が日本にいた頃から、ノラ猫の不妊去勢手術をしたことはあった。この場合は、TNRのような、集団規模と異なり、自分の庭で餌を与えている飼い主さんが、次々に子を産む姿に胸を痛めて、捕獲器に猫を捕まえて、不妊手術のために連れてくる、というものであった。この猫の捕獲、なかなか難しいのである。経験と知識がないと、猫も簡単に入ってくれない。TNRのように、ある一部地域全体の猫を捕まえようとしても、絶対に捕獲機に入らない利口な猫が1匹2匹はいるだろうし、手術後、元の場所に戻したところで、猫たちはやはり、喧嘩もするだろうし、騒音や悪臭は、そんなに簡単に消えるわけがない、と感じたのである。

 しかし、これは大きな間違いであることがわかった。ある一定地域のノラ猫を、捕まえて、安楽死させた場合、いきなり空間ができてしまうのである。周りのノラ猫たちは、その空間にあっという間に移動してしまうのである。しかし、TNRで、元のところに、不妊去勢手術をした猫を戻すとする。すると、発情期のメスを争って、喧嘩をすることがなくなったオスは、テリトリーの意識も低下し、うろうろと歩き回らなくなる。メスも、妊娠、授乳をしている時は、より多くの餌を食べなくてはならず、餌を求めて歩きまわる必要があったが、手術後は、以前ほど高カロリー食を必要しなくなる。オスもメスも、テリトリーの意識が減り、おとなしく、あまり動かなくなる。そうすると、地域全体が静かになり、住民たちは、ノラ猫の存在自体に、あまり気づかなくなり、苦情もなくなるそうだ。テリトリーの意識が低下したと言っても、低い人口密度で、ノラ猫たちは、その地域に静かに暮らしている。それゆえ、隣地域から、新しい猫たちは、入りづらくなる。すなわち、前述のバキューム効果が起こることない。


世話人の義務と権利


 さて、地域住民とノラ猫が平和に共存をしていう上で、一番大切なのは、ノラ猫の世話をしている「世話人」が、きちんとしたケアをすることであろう。これはアメリカでも問題提起されて、現在では、法的な力を持って、世話人に、ノラ猫の世話をする上でも義務と責任を与えている。まず、ノラ猫の世話人の定義を明確にした。その自治体によって詳しい定義は異なるが、一般に、「外猫」に1週間以上続けて、餌を与えたら、その人はその猫の「世話人」と見なされることになる。世話人は、餌を与えるだけではなく、そのノラ猫に、以下のことに関して義務が生じる。すなわち、暑さ、寒さ、あるいは雨風をしのげる、シェルター(簡易住居)を与えなくてはならない。例えば、ダンボール箱や毛布、あるいは、トタンで作った木陰の場所などを、ノラ猫に与えて、雨風が直接あたらないようにする。餌は、毎日継続的に与えなくてはならない。すなわち、自分が旅行に行くから、というような理由で、何日間か餌を与えないという期間を設けてはならない。その場合は、知人などに頼んで、代理の人が餌を与えることになる。また、世話人は、猫が住む環境を、衛生的に、きれいに保たなくてはならない。猫の糞便を始末し、また、餌をのせた皿や入れ物なども、使用後はきちんと除去して、地域の衛星と秩序を保つという責任が生じる。

 ノラ猫の繁殖に対しても、コントロールをしなくてはならない。すなわち、不妊去勢手術を施すよう、法律で要請している。これはもちろん、TNRを意味している。ノラ猫が明らかに病気であったり、負傷したりした場合は、その医療手当てに関しても、世話人は責任を持たなくてはならない。といっても、普通のペットのように、継続的に薬を飲ませたり、包帯を交換することはできないかもしれない。もし、病気や怪我で苦しんでいる場合は、捕獲気で捕まえて、安楽死をさせるなど、苦しみから解放させてあげなくてはならない。このように、世話人には、多くの義務をがある。それゆえ、これを全部行うという自信がない人は、安易な気持ちで餌を与えてはいけないのである。逆に、餌だけを与えて、他のことを行った人には、罰金刑を与えることができるようにしている。そして、ノラ猫の世話人には、そのノラ猫に対して、権利も与えている。世話をしている野良猫は、その世話人の許可なく、勝手に捕獲したり、どこかに連れて行ってしまうことができない。


TNRクリニック


 さて、私がボランテイアで手伝っている、ノラ猫の不妊去勢手術は、かなり大きな動物愛護団体が主催しており、もう5年以上も継続して、TNRを実施している。それゆえ、非常に合理的にうまくまとめて経営されている。先週もこのTNRクリニックに参加してきたが、ノラ猫総勢100匹を、獣医師4人、それから60人のボランテイアスタッフで行うのである。準備は朝7時始まり、獣医師は朝9時から午後2時くらいまで、次々と手術台の上に流れ作業でやってくる、猫の手術をする。猫は、捕獲機に入ってつれて来られた時から、流れ作業で、それぞれ分担した役目を与えられた各ボランテイアの手を、一人一人まわって、最後に捕獲機に戻されるのである。ボランテイアたちが、すべての猫の回復を待ち、後片付けをすると、夕方近くになる。

 ノラ猫たちがたどる経過は以下の通りである。まず、捕獲機に入ったまま、世話人に連れてこられる。捕獲には、タオルや毛布がかけられているので、猫たちはおとなしく落ち着いている場合がほとんど。それから、捕獲機の外から、注射薬で麻酔を打つ。これは経験のあるテクニシャンが行う。麻酔が効いたら、捕獲機から出して、簡単な身体検査をする。年齢、体重、健康状態、歯などをチェック。場合によっては、(世話人の希望により)、ウイルスの血液検査も行われる。手術準備(剃毛、消毒など)に入り、ついで不妊去勢手術が行われる。不妊去勢手術は、通常のペットの手術と全く同じ方法で行われる。手抜きはしない。メスの場合は腹部切開で、子宮卵巣を取り出す。オスの場合は精巣を取り除く。糸は吸収性の合成糸を、一匹毎に、新しいパッケージを使用する。抜糸の必要はない。不妊去勢手術済みの証拠として、右の耳の先を5ミリほど切る。これは、ロサンゼルス界隈ではルールとなっている。これによって、次回、この猫が捕獲機に入っても、麻酔をかけることなく、「手術済みの猫」であると、人目で分かるからである。抗生物質の注射、皮下輸液、ワクチン接種、ノミと外部内部寄生虫の処置、必要であれば、デンタルケアなど、麻酔覚醒するまで、手早く行う。これらは、すべて、ボランテイアの人が献身的に行う。もちろん、痛み止めの注射も打つ。捕獲機に移して、完全に覚醒させ、軽い流動食を与える。猫たちは、特に興奮することもなく、ゆっくりと覚醒するのが普通である。世話人が引き取りにやってきて、猫はその日のうちに、元の場所に戻される。授乳をしている母猫も、不妊手術の後は子のところに帰ってゆき、そのまま授乳を続けることができる。これらのTNRの実際的な手法については、マニュアルもできており、講習会を通して、次の動物愛護団体に伝授するということがなされている。


ノラ猫の権利


 TNRが広まるにつれて、ノラ猫の権利に対する配慮を懸念する声も出ている。すなわち、「本来は自由気ままに生きていたいノラ猫を、勝手に捕まえて、ストレスを与え、勝手に手術するというのは、感心できない」「ノラ猫にとっては、大きなお世話、いい迷惑なのでは」と考える人もいる。本当に正しいのはどっちなのか、誰にもわからない。私は個人的に、人間はノラ猫の権利を侵害しているとは感じていない。実際のノラ猫の手術に立ち会って思うのは、ノラ猫たちは、こんなにまで、ひどい状況で、ぎりぎりの状態で生き延びているのだ、という哀れみである。ほとんどのノラ猫は、栄養状態が悪く、体内には脂肪がほとんどない。皮毛はノミがびっしりと寄生し、体のあちこちに、生傷が絶えない。ほとんどが下痢をしており、回虫、条虫といった消化管内寄生虫を持っているのが当たり前である。歯も歯茎も、若い猫でもぼろぼろになっており、さらに、カイセンや真菌症といった伝染性の皮膚病を患っているのも多い。そんな悪条件の中で、メスは、妊娠しているか、授乳をしているかのどちらかである。すなわち、授乳が終わるとすぐにまた、妊娠するのである。そんな過酷な状況で、まさしく、骨身を削りながら生きているノラ猫に触れる度に、飼い猫との違いに愕然とし、ノラ猫たちに、少しでも安楽で、平和な生き方ができるよう、願うばかりである。


TNRの将来


 TNRは、ノラ猫の人口抑制と社会平和にとって、有効で意義が高いとされているが、それでも、これですべての問題が解決できるわけではない。手術後も攻撃的にテリトリーを俳諧する猫がいるし、すべての猫が捕獲できるわけではない。また、TNRは、その地域全体の協力が必要である。ノラ猫の扱いに慣れたボランテイア、および獣医師の協力が必要不可欠である。ノラ猫を捕まえて、手術をする時に、猫と人が接触することになり、猫が持っている伝染病を人に感染させてしまう、という危険が伴う。白血病ウイルス、エイズウイルスの保有猫をどうするか、手術をして放し、ウイルス感染猫が増えるのを見守るか、あるいはそのまま安楽死させるか、意見が分かれることが多い。現在、そのノラ猫の世話人の意志により、ウイルス保有猫でも手術する場合もあれば、安楽死する場合もある。
 

まとめ


 TNRは、ノラ猫と地域住民が平和に共存してゆくために、有益な方法であることが、科学的に証明されており、全米では一般的な方法として、広く受け入れられるよになっている。TNRのプロジェクトを行うには、世話人が責任と義務を持って、ノラ猫の世話をすることが不可欠で、愛護団体、獣医師が協力して始めて成り立つものである。TNRがノラ猫問題を、完璧に解決できるわけではないが、現時点では、もっとも愛護的で、最善の方法であるとされており、今後も大きく広まることが予想される。日本の自治体も、積極的に取り入れてほしい方法である。

西山ゆう子

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