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| オリンピックのちょっといいお話 |
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オリンピックと言えば、札幌で生まれ育った私にとって、忘れることができないのが、1972年に行われた、札幌冬期オリンピック。まだ小学生だった私も、一生忘れることのない、強い思いでとして残っている。
当時、札幌はまだまだ大きな田舎で、国際化とはほど遠い存在だった。オリンピックが近付くと、街の石ころ道がどんどん鋪装され、東西南北に地下鉄が敷かれ、街が見る見る整備され、きれいになっていった。
札幌の町中が、市民がすべて、オリンピックを身体いっぱい受け入れて、喜んでいたように思う。その年の冬休みは通常よりも短くなり、その代わりオリンピックが行われた2月には、学校がすべて休みになった。
オリンピックが始まる前、「今年は暖冬で雪が少ない」という気象庁の報道を受け、市民全体が青ざめた。山に雪が積もらなければ、道央の大雪山から、雪を多量に運び込むとか、人工雪を作るとか、そんな話題で持ち切りだった。
私より上の世代の人なら、記憶されている方も多いと思う。スキージャンプで、日本人3人が、金、銀、銅メダルを独占したことを。私はあの日、父に連れられて、そのジャンプ競技を見学していた。
小さな日の丸の旗を手に持ちながら、ジャンプ状の着地部分の淵で、私は滑り降りてくる選手を応援していた。
金メダルをとった、笠谷選手の、あの時の顔を、私は一生忘れることはないと思う。彼は一本目のジャンプを終えて、滑り降りてきて、すうっと立ち止まった。私が応援していた場所の真ん前であった。必然的に、私は彼をすぐ、間近に見たのだった。彼はゴーグルをとって、電光版のほうを見上げて、今自分が飛んだジャンプの成績を見上げていた。
その顔はまさしく蒼白であった。あれ以上青くなれないくらい、血の気のない、真っ青な顔をしていた。その唇も、真っ青であった。11歳の少女だった私は、彼の顔を見て、一瞬言葉を失った。なんだかとても気の毒に思えたのだった。
日本を代表する、オリンピック選手として、国民全体の期待が寄せられていた。その重圧と緊張で、蒼白だった彼の顔を、30年以上だった今でも、明確に記憶している。
時代は変わり、今、テレビで見るオリンピック選手たちの顔は、皆、朗らかでにこやかである。もちろん、競技の時は誰もが真剣であるが、その前後に覗かせる笑顔、コーチと交わしあう目も、優しく、暖かい。グループやパートナーで行う競技の場合、チームのメンバーが微笑み合って励ますのも、当り前の光景になった。
オリンピックを、楽しみながら参加するという余裕が、今の選手たちに見受けられるように思う。
ロサンゼルスに本社のある、アメリカの日系新聞「羅府新報」に、とても素敵な記事が載っていたので紹介したい。
1932年、ロサンゼルスでオリンピックが開催された時の話である。第15回五輪大会には、日本から城戸俊三中佐が、馬術競技に参加していたそうだ。
山野を22マイル、馬とともに駆け巡るという大変ハードな競技だったそうである。城戸中佐が乗っていたのは、19歳の老馬「久軍」。中佐と久軍は決勝戦で、勝利が目の前であった。ところが、最後の障害を前にして、老馬九軍は力尽きて、息絶え絶えになったそうだ。老馬の全身からは汗が吹き出し、鼻孔は開ききり、それでも最後のジャンプを成し遂げようと、断末魔の力を振り絞ろうとしていた。
最後の障害を飛び越えると、愛馬は力尽きて死んでしまう、と中佐はとっさに判断した。愛馬を見殺しにして優勝するか、競技を放棄して愛馬を救うか、という選択に迫られたのである。
中佐は、優勝のメダルを目の前にしながら、馬を降りた。あせって走り続けようとする九軍を押し留めて、馬から飛び下りた。馬を救うために、競技を放棄したのだった。
そんな主人の心を知ってか、九軍はその時、中佐の肩に鼻を埋めて、まるで、「ごめんなさい」と謝りながら泣いているようにふるまった。その馬と中佐の姿に、数名の審査官も、思わずもらい泣きをしたそうだ。
「熱涙を呑んで/城戸中佐馬を救ふ/最後の障碍で棄権」(羅府新報の見出しより)
1932年と言えば、まだ旅客機など、今のように発達していない時代であったであろう。オリンピック出場のために、馬と中佐は、船で太平洋を渡ったに違いない。何か月もかけてアメリカに行き、メダルを目の前にして断念する。その無念さは想像を絶する。だが、城戸中佐は、メダルよりも自分の馬の命を優先した。
この様子に感動したアメリカ人グループが、1934年に、ロサンゼルス郊外のリバーサイド郡ルビド山に、美談をたたえる記念碑を立てた。今でもその地を訪れる人に、日本人の動物愛護精神を語り継いでいるということである。
「日本人の動物愛護精神」と聞き、さて、皆さんはどう思われるであろうか。
日本人は、動物愛護精神が豊かで、何よりも動物の命を優先する、すばらしい国民である、と胸をはって、自慢することができるであろうか。
アルファ代表 西山ゆう子 |
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