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| 男らしい犬 |
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斉藤さんの「ロン」は、日本で生まれ育った、とても大きな秋田犬である。何とも血統のよい、チャンピオン犬の血をひく純血種で、特別なルートを通して、大変な思いをして、高額で購入したそうである。ロンは斉藤さんにとって、自慢の、そして最愛の犬であった。
ロンが5歳の時、斉藤さんはロサンゼルスにやってきた。そしてアメリカ生活が落ち着いた1年後、日本の実家で預かってもらっていたロンを、ロスの新居に呼び寄せたそうだ。
外国で生活する、ということは、楽しいことも多いが、大変なことも多い。言葉や文化、食事の違い、気候の違いなど、小さなストレスが重なって、肉体的にも、精神的にも大変なことである。それを乗り越えるだけの、強い精神力が求められる。犬にっとっても、同じことが言えるのかもしれない。
5歳でロスに来てから、ロンは小さなケガをしたり、病気になったりして、頻繁に動物病院の世話になっていたそうだ。近所のドッグパークに連れていったら、いきないそこの犬とケンカになり、首と耳を噛まれて流血するという事件。それから、耳が慢性的に感染症になり、皮膚もアレルギーで、湿疹が多くみられるようになった。肛門嚢の感染、目の感染も頻繁に繰り返すようになった。そして、1年くらい前からは、足腰の関節が弱まり、歩くスピードもずっと遅くなったそうだ。
そんなロンが、食欲もなくなり、元気がなくなり、急に弱々しくなったということで、私のところに診察に訪れた。
8歳になったロンを始めて診た。秋田県の貫禄をまだどこかに備えながらも、長い間、何かと戦い続け、そして疲れ果てた、という目をしていた。ロンの毛並みは艶がなく、後ろ足の筋肉は萎え、爪は伸び放題で歩く度にカチカチと音を立てていた。
ロサンゼルスでは、去勢されていないオス犬は珍しい。特に大型犬は、公共の場で他人を負傷されたり、犬どうしのケンカになる場合が多いので、去勢が強く奨励される。私は斉藤さんに聞いた。「獣医さんに去勢を勧められませんでしたか?」と。
「日本では、誰も勧めませんでしたね。皆、こいつが優秀な血統書付きだということ、知ってましたから。」「アメリカに来てからは、確かに去勢の話は持ちかけられましたが、必要なかったですから。」と斉藤さん。犬は一匹だけ飼っており、外に行く時は、必ずリードをつけているから、絶対に他の犬を妊娠させることなどない、と彼は言い切った。
去勢手術の目的は、バースコントロールだけではない。ご存じのように、大きな医学的、行動学的なメリットあがある。ドッグパークでケンカをする事も、慢性の皮膚病も、去勢さえしていれば、もっと緩和されたかもしれない。
斉藤さんはロンの耳へ投薬することも満足にできない。薬を飲ませることもできない。爪を切ることもできない。ロンが嫌がって、斉藤さんに噛み付くからだと言う。きちんと家庭で投薬できなければ、どんな小さな病気でも、治せないことだってある。爪を切る、耳を掃除する、ブラッシングする、という、日常のケアは最低限のものである。それができない、というのならば、飼い主としての責任が欠けている言わざる得ない。
ロンは、診察しようとして近付いた私を、歯を剥いて威嚇した。鎮静をかけなければ、満足に診察することもできない。病気で弱った犬に鎮静をかけるのは危険である。でもその危険を侵さなければ、ロンが何の病気なのか、判明することさえできない。
精密検査の結果、ロンは前立腺肥大に伴う、前立腺感染症であることが判明した。これは、非常に痛みを伴う、重篤な病気である。精巣からの男性ホルモンが前立腺を肥大させ、それが尿道を圧迫し、2次的に感染症を起こすのである。初期の段階では、「残尿感がある」「圧迫感がある」と、犬は言葉で伝えることができない。そしてどんどん病気は悪化し、いよいよ具合が悪くなり、検査して、始めてこの病気が判明するのである。
ロンは早急に手術をしなくてはならなかった。前立腺に巣食っているばい菌を切除し、排膿し、長期的な入院と抗生物質の投与が必要であった。同時に去勢手術をして、男性ホルモンによる前立腺肥大を解消する必要があった。
だが、手術を含む、長期的な入院を行うには、ロンはあまりにも不適正であった。誰も1メートル以内に近寄れない。ものすごい勢いで威嚇して、診察することもできない。点滴の管をチェックすることもできない。ケージの中で排便、排尿してしまっても、誰もきれいにすることさえできない。
手術も、入院もあきらめるしかなかった。斉藤さんは、目に涙をためながら、私に言った。「こいつ、まだ8歳なのに、なんて不幸なんでしょうね。」と。
私は斉藤さんを責めるつもりはない。責めるとすれば、去勢手術を生後5か月で行うよう勧めなかった獣医師だと思う。ロンは、去勢手術さえしてれば、こんな形で苦しむことはなかった。もっと穏やかな性格に育ち、他人を攻撃することもなく、もっと健康に長生きできたことだろう。
ロンは確かに不幸な犬だ。予防できた病気で、死んでゆくのだから。
どうして、血統書付きの犬は、不妊去勢手術をする必要がない、と考える人が多いのだろうか。血統書とは、そんなに意義のあるものなのだろうか。確かに純血種はカッコイイかもしれない。でもどんなチャンピオン犬でも、どんなに家系がよくても、予防できた病気で命を落とすこと程、残念なことはない。
ここロサンゼルスでは、国境を超え、人種を超え、そして宗教を超えて、国際結婚しているカップルがたくさんいる。犬の世界でも、もうそろそろ、家系とか純血種とかにこだわることから、卒業するべきではないのか。自分の犬の本当に健康と幸せを考えてほしい。たった一つの、去勢手術という、ごく簡単な手術が、その犬の一生を大きく変える。
そして犬は自分で不妊去勢手術を受けたいと申し出ることはない。手術の決断をするのは、飼い主でしかないのだ。その事実を改めて、もう一度考えてほしい。 |
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